対話型鑑賞体験セミナーに行ってきたつらつら。
こんにちは、MMM2019の共同代表であり、総合政策学部2年の今宿未悠です。関東地方は、寒さの中、秋陽を名残惜しく思う季節となりました。
冬の前は秋、秋の前は夏…
ぐんぐん遡って、夏のはじめに、わたしは『対話型鑑賞』のワークショップに参加してきました。今回は、そのことをブログに書き留めて参りたいと思います!
■対話型鑑賞とは?ワークショップの詳細。
わたしが初夏に参加したのは、『教えない授業ー美術館発、正解のない問いに挑む力の育て方』の著者である鈴木有紀さん(愛媛県美術館学芸員)をナビゲーターとする、「対話型鑑賞」体験セミナーです。
そもそも、対話型鑑賞とは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で生まれた新しいアート鑑賞の方法です。前提知識を持たずに自由に作品を受け止め、「どこからそう思う?」など独特の問いによって、豊かな気づきとコミュニケーションを生み出していきます。(対話型鑑賞体験セミナーイベントページより抜粋、再構築)
イベントには、日頃の活動のフィールドが教育である方が多く訪れていました。立場の垣根を超えて、提示される絵画や彫刻が何を表しているのか、いつくらいの時代のものなのか、などをみんなで対話しながら深めていきました。
■「知らない」を楽しんで、アートの「実体」に差し迫る。
このセミナーで扱われたのは、わたしが一つも見たことも、聞いたこともない作品ばかりでした。普段「知らない」ことは恥であると無意識的に考えているわたしでありましたが…このセミナーを通して、アートを解釈し、新たなる創造性を生み出していくときに「知らない」ことはむしろ素敵なことなのではないかなと思うようになりました。
「無知の知」という、あまりにも有名な言葉があります。ソクラテス先輩の言葉です。「自分は何も知らないのだ」ということについて「自覚的」になった時はじめて、人は真の知に近づこうとするのである、と…。アートを対峙する際においても、例えば分析美学、例えば美術史学などについて学び、知識に基づいて「わたしはこの作品を知っているのだ」として作品についてあれこれいうことは、「なんだかすごい」から、いいように思えるかもしれません。でもこの時、わたしは作品を「みているようでみていない」=作品を記号化している状態に陥っているのではないかなあと考えます。「自分は作品について、何も知らない」という状態を知覚しているからこそ、その作品を細部まで観察したり、表現をどのように解釈すべきかについて、ゆっくりと考える=実体に差し迫ろうとすることができるのです。作品に対峙し、「知らない」状態を前提とした対話を積み重ねることで、「私たちにとっての」「知」を探していく作業。これが、対話型鑑賞なのだと思いました。
■MMMへの還元
MMMにおいても、「那珂湊」や「アート」について知った気になるのではなくて、「知らない」を前提とした対話を積み重ねることで、それらの新たなる可能性を模索していけたらいいなと思っております!!!
それでは。